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テントのことしかできないからこそ

テントのことしかできないからこそ

代表あいさつ

私は、あまり器用な方ではありません。
生まれた時からテント屋の息子として育ち、今でもテント以外はからっきしです。
だからこそ、テントを通じてあなたの生活に役立ち、喜んでもらえる自信があります。

株式会社宇都宮帆布工房 代表取締役 宇都宮 秀彰 

宇都宮帆布工房の歩み

じいちゃんが

じいちゃんが
昭和33年。東京タワー誕生と時を同じくして、宇都宮テント商会はその歩みを始めます。
創業者は私の祖父、宇都宮勇(いさむ)。
大手テント屋で八年間の修行を積んだ後、妻るり子と2人3脚で独立開業します。

戦いの地に選んだのは、勇の地元でもある山口県宇部市。
自宅と店舗を兼ねた建物と工業用ミシン2台、本当に小さな第一歩でした。

日本列島がお祭り騒ぎ

日本列島がお祭り騒ぎ
昭和40年代に入ると景気はさらに加速します。
流通が盛んになり、この頃から運送トラック用荷台シートの注文が殺到します。
その勢いはテント部門の売上げを追い抜くほど凄まじいものでした。

しかし、祖父は浮かれることなく、目の前の仕事に全力で取り組みます。
そんな姿勢が認められたのでしょうか、地元の運送会社のみならず、「いすゞ自動車」「日野」「三菱ふそう」といった大企業とも取引ができるほど、強固な経営基盤を築き上げていきました。

盤石な土台

盤石な土台
時代は高度経済成長期。日本中が好景気でお祭り騒ぎだった頃です。
「注文はひっきりなしだった。」「いつもお客さんを待たせてしまって、本当に申し訳なかった。」祖父は当時の状況を、申し訳なさそうに、でもどこか嬉しそうに、こう言っていました。とは言え、いきなり大きな仕事をもらえる訳がありません。

開業して間もない頃の仕事は、牛乳配達の自転車に乗せる帆布袋や、地元の商店の軒先テントなど。小さな仕事にも手を抜かず、目の前の仕事に全力で取り組んでいる姿が、誇らしくカッコよく見えたのを今でもハッキリと覚えています。

一国一城の主

一国一城の主
平成9年9月。山陽小野田市に自社工房を建設します。
この時、祖父は72歳。すでに第一線を退き、経営は長男の彰一(私の父です)に譲っていました。この自社工房完成から2年後に祖父は亡くなりますが、創業以来、かねてより念願だった夢を果たせて祖父は本当に幸せそうでした。

ところが、幸せな時代はあっという間に終わりを迎えます。

泡がハジけて

泡がハジけて
バブル経済が破綻。もちろん、テント業界も例外ではありません。
平成10~20年のわずか10年間で、業界全体の売上げは33%減少(-4,000億円)します。

我が社も最盛期のおよそ半分にまで売上げが減り、職人さんを雇えなくなりました。
徹底的に経費を切り詰め、父:彰一、母:久美子、伯母:栄子、私の4人で耐え忍んでいくことにします。景気さえ良くなれば、という淡い期待を抱きながら。

さらなる試練

さらなる試練
願いは届きません。それどころか景気はどんどん悪くなり、消費者の「買い控え」もひどくなる一方です。何度も何度も修理したり、限界ギリギリのギリギリまで買い換えなかったり・・・と。さらに悪いことに、問題は買い控えだけではありませんでした。

車に流行があるように、トラックにも流行があります。平成に入った頃から、運送業界は大型のコンテナ車による大量輸送へと徐々にシフトしていきました。(もちろん、コンテナ車なので荷台シートは一切必要ありません)買い控えに追い討ちをかけるように、トラック荷台シートの需要自体も減っていく。売上げの大部分を占めていたトラック荷台シートの受注減少に、全く歯止めがかかりません。

負の連鎖

負の連鎖
「最悪な出来事は、最悪なタイミングで起きる」そんな言葉がピッタリでした。
ただでさえ厳しい状況の中、父彰一が突如脳梗塞で倒れ、生死の境をさまよいます。
幸い、何とか一命を取り留めたものの、体は動かず日常会話もままならないため、長期の入院生活を余儀なくされました。母は看病に付きっきりで、私も仕事が終わったら交代で世話をする。そんな状態を1年ほど続けていました。(現在父は、軽作業をできるほどに回復しています)

経営者と働き手を同時に失い、売上げもじわじわと減り続ける。毎日「倒産」の二文字が頭をよぎる、精神的に最も苦しい時期でした。

三代目秀彰へ

三代目秀彰へ
父が倒れ、急遽、私が実質的な代表になります。当時、父はまだ53歳。私も働き始めて10年で、やっと一人前の仕事ができるようになったばかりです。「社長の仕事」など分かるハズもありません。それでも売上げは容赦なく下がり続けます。

お客さんからは「もっと安くして欲しい。消費税分だけでもどうにかならんか。」
仕入先からは「原料の価格が高騰しているので値上げします。」
まさに板ばさみ状態で、私は完全に身動きが取れなくなっていました。
「このままでは潰れてしまう。」「何とかしなければ・・・。」気持ちは焦るものの、一体何をどうしたらいいのか分からない。不安に押しつぶされそうな日々が続きます。

ヒントは創業時に

ヒントは創業時に
もはや待ったなしの崖っぷちです。「とにかく何か、何か今までとは違うものを・・・」とは言うものの、新たに設備を投資するお金などありません。なにより、私たちにできるのは帆布(はんぷ)を使った製品を造ることだけ。

「やっぱり帆布しかない。」「帆布で何かできないのか?」そんな時、偶然テレビで流れていた帆布かばん特集を見かけます。「そう言えばじいちゃんが創業したての頃、牛乳屋さんの配達用バッグを綿の帆布で作ってたって言っていたなぁ。」
もしかしたら・・・というひとすじの希望の光が見えた気がしました。

まさかの大当たり

まさかの大当たり
牛乳配達バッグを創っていたのはもう50年近くも昔の話ですが、そんなの関係ありません。ワラをも掴む思いだったので、これしかない!と、無我夢中で帆布かばん製作に取りかかります。当たり前の話ですが、最初は全くと言っていいほど反応がありませんでした。そこで、まずは知り合いに試しで使ってもらい、使い勝手やデザインなどをリサーチして悪かった点を改良し、また使ってもらう。これを何度も何度も繰り返します。

すると、徐々に口コミが広がってお店に足を運んでもらえるようになりました。驚いたのは、面白いことをやっているテント屋があると聞き付けたテレビ局によって、テレビで何度も紹介されるほどのスター選手になってしまったことです。
「見たよ、何かの番組で。」「テレビで見て気になっていたのよぉ~。」
テレビ放映後、店舗に来店される方は5倍に増え、オーダーかばんを注文される方は3ヶ月以上お待ちいただく状態になってしまいました。

テレビの影響力

テレビの影響力
一度テレビで紹介されると、その後ひと月ぐらいてんてこ舞いになってしまいます。なにより一番驚いたのは、帆布かばん以外の注文が増えたことでした。
中でも特に多かったのが、「明るさを保ったまま風通しも良くて、できれば簡単に収納できるもので。」「肌への紫外線も気になるから、UVカットになってると・・・。」「ベランダが直射日光で熱くなり過ぎて、園児たちが遊べません。」と言った夏の暑さをどうにかしたいというお問い合わせです。

保育園のベランダ(コンクリート)に、UVカットの【メッシュ地のスクリーンテント】を施工すると、「日中でも園児たちが楽しく遊べるようになりました♪」「園児の保護者さんからも好評ですよ。」と、園長先生や保育士の先生方にとても満足していただけました。この時私は、テント屋という仕事を通して、子どもたちの成長に大きく役立てているのだと、生まれて初めて自分の仕事を誇らしく思えたのでした。

想いを形に

想いを形に
この出来事は、私を大きく変えました。仕事に対する考え方が180度変わったのです。
それまでの私は、恥ずかしながら「給料(生活)のために働く。」「お客さんに依頼されたから創る。」といった、会社を潰さないためにと・・・悪く言えば受け身で何となく働いている状態でした。もちろん、手抜き作業をしていた訳ではありません。祖父の教え通り、いつも全力で目の前の仕事に一生懸命取り組んでいました。

しかし、心のどこかでテント屋という仕事を「カッコ悪い」「大して役に立っていないのでは」と、引け目を感じていたのかもしれません。
保育園の施工以後、私の仕事に対する考え方は「もっとテントが生活の役に立てるに違いない!」「どうすればもっと喜んでもらえるだろうか?」と、強く思うようになりました。ただ注文が来るのを待つのではなく、自分から積極的に行動し、異業種の方と共同で製品開発を行うなど新たな活動を始めています。

そんな中で生まれた「医療用の足洗いバケツ」は、(まだまだ改良の余地はあるものの)これからのテント屋の方向性を示してくれているのではないかと感じています。

今の時代のテント屋

今の時代のテント屋
おそらく、「テント業界が時代をリード!」なんてことはこれから先起こることはないでしょう。現状がそうであるように、時代に取り残されない様に喰らい付いていくのが精一杯だと思います。だからこそ、頭と経験を目いっぱいフル活用して、「テント屋として何を提供できるだろうか?」「どうすればもっと役に立てるだろうか?」と真剣に考え続けていかなければならない時代なのだと痛感しています。

幸いにも、今はホームページで簡単に情報発信ができる時代でもあります。私たちもこのホームページ(インターネット)を使ってアピールしたことで、機械装置用のカバーを特注で造りたいというお問い合わせをいただくことができました。もちろん最初は小さなものでのお試し購入でした。何度か改良を加え、徐々に信頼していただけるようになって、それから写真の様に大量に注文していただけるようになりました。

取引はホームページがキッカケでしたが、「目の前の仕事に一生懸命取り組んでさえいれば信頼は後から付いてくる。」のだと、このやり方でいけば大丈夫だと自信を深めるとてもいい経験になりました。

私たちができること

私たちは工業用ミシンで帆布を縫製しているので、帆布製品しか作ることができません。厳選した生地を使い、一点一点すべて手作りです。値段では海外製品には到底かないません。大量生産もできません。納期もそれほど早くないと思います。

だからこそ、価格よりも量よりも納期よりも大切にしていることがあります。
「テント屋として役に立つには、何ができるだろうか?」「どうすれば、お客さんにもっと喜んでもらえるだろうか?」この想いを製品にギュッと詰め込んで、お届けしています。
もちろん、帆布を使ってです。あれもこれもやってお客さんを満足させられるほど器用ではないので。
株式会社 宇都宮帆布工房
〒756-0080
山口県山陽小野田市くし山1丁目6番18号
TEL.0836-84-7990
FAX.0836-84-7447
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